昔、お釈迦様が国中に疫病が流行って困っていた難陀国の王に「百八の木けん子(の実をつないで、いつも手にして心から三宝(仏・法・僧)の名を唱えなさい。そうすれば煩悩が消え、災いもなくなります。心身も楽になるでしょう」と語ったことが『仏説木けん子経』に説かれています。国王はそれを聞いて以来、いつも数珠を手にして毎日念仏を唱えました。すると、悪病もたちまち退散して人々は幸せになりました。 その後、この数珠に数の概念や、一つ一つの珠に意味づけがされ、経典にも説かれて、仏教の法具として欠くべからざるものになっていきました。 仏教が、中国から日本に伝来したときに、数珠も一緒に伝わってきました。正倉院には、聖徳太子が愛用していた蜻蛉玉(金剛子の数珠や、聖武天皇の遺品である水精(晶)と琥珀の念珠ニ連が現存しています。すなわち、天平年間には数珠が伝えられていたことになります。それが仏具として僧侶以外の一般の人々にも親しまれるようになったのは、鎌倉時代以降のことです。現在の数珠は宗派によってもその形が違っています。
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